2007年6月24日日曜日

囚人のジレンマ

ドラマ理論の論文を読もうとしたところ、そもそもその下敷きのゲーム理論を全く知りません。ぼちぼちと調べています。常識として知らねばならない基本概念に『囚人のジレンマ』というのがあるそうです。

ウィキペディア『囚人のジレンマ』によれば、


『ある事件において、共犯と思われる二人の被疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的な証拠がない二人の被疑者は、完全に隔離された上で双方に同じく以下の条件が与えられた。

もし、あなたがこのまま黙秘を続け、もう一人も黙秘を続けた場合(別件の罪にしか問えないため)二人とも懲役2年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人が黙秘を続けた場合、あなたを司法取引によって刑を1年にしよう。ただし、もう一人は懲役15年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人も自白した場合、双方とも懲役10年だ。
もう一人の方にも、全く同一の条件を伝えてある。
二人の容疑者を囚人A、囚人Bとおいて表にまとめると、以下のようになる。表内の左側が囚人Aの懲役、右側が囚人Bの懲役を表す。


           囚人B 黙秘(協調) 囚人B 自白(裏切り)
囚人A 黙秘(協調)   (2年, 2年)   (15年, 1年)
囚人A 自白(裏切り)  (1年, 15年)  (10年, 10年)

このとき、囚人がどちらを選択するのがよい戦略かというのが問題である。 』



個々の囚人にとっては、
相手が黙秘した時、自分が黙秘したなら2年、自分が裏切れば1年。
相手が裏切れば、自分が黙秘した時15年、自分も裏切った時、10年。

相手が黙秘した場合でも裏切った場合でも、自分は裏切って自白した方が、得になります。これは両方の囚人にとって同様だから、両方がそれぞれ自白すると、刑は二人とも懲役10年となります。

しかし、もし両方とも黙秘していれば、刑は二人とも懲役2年ですみました。だから、個々の囚人にとって最適である戦略を両方がとっても、全体の結果は最適のものになっていない。この状態を、『囚人のジレンマ』といい、社会学や経済学でよく出てくる有名な問題だそうです。

実際には囚人の自白を促すのにこんな条件を出す必要はないそうで、自白による減刑を示すだけでよいとのこと。だから、これは問題の解説用に定式化されたもののようです。

同じ構造は頻繁に出てくるとのことでしたが、昨今の関心事である年金問題なども、こういうジレンマをかかえているのかな、と思いました。

『他の人たちが年金の掛け金を払わないならば、私が掛け金を払っても年金資金不足はさらにひどくなる上に手持ちのお金が減り、私が払わなくてもさらにひどくなるが手持ちのお金は残る。
他の人たちが年金の掛け金を払うならば、私が掛け金を払っても年金資金不足はひどいままで手持ちのお金が減り、私が払わなくてもひどいままで手持ちのお金は残る。

いずれにせよ個々人にとっては、掛け金を払わない方が手持ちのお金が残る。だからと言って、全員が自分の手持ちが残る方を選択したら、年金制度は崩壊。こんなのも囚人のジレンマと言えるのではないでしょうか。

みんなが囚人並みに利己的に考えていては、世の中成り立たない。皆が掛け金を払えば年金資金は正常に運営されるという信頼感が前提条件。

そっか。囚人と同じように、悪事を働こうとか、年金などの前提となる社会への信頼感など考えずに自分だけの財産を増やそうとか、そういう自分個人本位の前提条件の時に、お互いの協力体制が試される場面で現れるのが『囚人のジレンマ』なのでしょう。

囚人が悪事による囚人でなく何かの理想を掲げた政治犯などだったら、相手も黙秘するはずと信じて自分も黙秘するという理想解を選択することも実際にあるでしょう。
年金制度は社会の全員で支えていかねばならない、と考えている人ばかりだったら、おぼつかない年金制度であっても、自分も掛け金を払って支えていこう、という理想解を選択するでしょう。

だから、個々人でなく全体の理想解を選択するにはどうすればいいのか、の答えは、『全体の理想』を実現したいと個々人が望んでいること。

囚人のジレンマはその名の示すごとく、悪人集団、ないし利己的個人集団のジレンマ。全体の利益を考えていないのだから、そういう結果になって当然なのでしょう。



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