2007年6月27日水曜日

「つながりが築く豊かな国民生活」国民生活白書

昨日の夕刊によれば、内閣府は26日、「つながりが築く豊かな国民生活」と題した2007年版の国民生活白書を公表したそうです。

「長時間労働やIT(情報技術)化などで、いずれの場でも人間関係が希薄化し、個人の精神的不安定、家庭でのしつけ不足、地域の防犯機能や企業の人材育成能力の低下など、経済・社会に深刻な影響を与えると警鐘を鳴らしている。」

「人のつながりの再構築が重要だと指摘し、そのために政府が<1>有給休暇の取得促進などによるワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の推進<2>地域活動などに関する情報提供<3>家族や地域のきずなを再生する国民運動の展開――などを行うべきだと提言している。」

とのこと。

今までだったら、それほど気に留めずに、『そうなのよ』とか、思うだけだったのだろうけど。最近調べ始めたシステム科学関係の話題などと妙に符合するので、意外というか、感心したというか。

やっぱり、政府の関係者の方も、そういう方面を勉強していらっしゃるのでしょうか。多数派なのかどうかは分からないけれど、サポートする学者さんとかに、そういう学会などにも目を配っておられる方が入っているのかもしれません。

「つながり」と言われると、ラズロー博士が中心の科学シンポジウム「惑星の新しい意識」の紹介ビデオで、どこかの講演者がホワイトボードに、つないで、つないで、つないで、つないで、という風に、線でつないでいたのを思い出します。今や、地球規模で人々がつながらなければ、地球は平和にならない。

国民生活白書が問題にしているのは国内だけの話だろうけれど、親ブログ『癌っの後だから普通の日常』の方で触れた『百万人のキャンドルナイト』などの「スローライフ」の潮流が目指しているのも、つながりの再構築でしょう。温暖化対策は国際的な要請だけれど、国際・国内問わず、必然的に人の生き方の再考が必要になります。

問題は、生活白書のこういう提言を、企業などの経済界がどれだけ真摯に受け止めてくれるか。
今時、残業ばかりさせるような会社は、時代遅れなんです。けど、日本の世の中、そういう認識になっていない。

つながり重視でスローに暮らした結果、収入は無くなりワーキングプアやニートになっちゃうかも、という怖れもあります。グローバル化で競争はますます厳しいし。

つながり重視でグローバルに貢献できる(お金が入る)生き方、を目指そう! (細部不明ですが)



2007年6月26日火曜日

協力ゲーム、非協力ゲーム、ナッシュ均衡、パレート効率的

ゲーム理論の用語について。

前の記事で、囚人のジレンマは悪人集団ないし利己的個人集団のジレンマ、と書きましたが、ちゃんとそういう意味の専門用語があるようです。

『非協力ゲーム』=お互いに協力しないという前提で考えるゲーム。

逆に、互いに協力することができるという前提でのゲームの、『協力ゲーム』という分類もあるそうです。

囚人のジレンマは非協力ゲームの枠の中で考えることができます。

『ナッシュ均衡』は、「非協力ゲームの解の一種であり、いくつかの解の概念の中で最も基本的な概念である。数学者のジョン・フォーブス・ナッシュにちなんで名付けられた。」(ウィキペディア)とのこと。

『ナッシュ均衡』は、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせ。
囚人のジレンマでの、いずれの囚人も自分は裏切って自白する戦略が得、というのは、ナッシュ均衡。

『パレート効率性』とは、集団の中の誰かの満足度を犠牲にしなければ他の誰かの満足度を高めることができないこと。また、誰の満足度も犠牲にせずに誰かの満足度を改善できる状態を、前の状態に対して『パレート改善』という。経済学者・社会学者の、ヴィルフレド・パレートという方が提唱(ウィキペディア)。

囚人のジレンマでは、いずれの囚人も自白しないという戦略は、ナッシュ均衡である両方が裏切るという状態に対してパレート改善になっています。

年金の例を考えるのは悔しいので、地域の自治会で考えると、自治会費を誰もが払わない、という戦略は、誰が払おうが、払うまいが、私が払ったって払わなくたって大したことないだろうし、払わなければお金が残る。皆がそう思っている状態はナッシュ均衡。

でも、自治会のお金がなくてできなかったお祭りが、皆が自治会費を払うことによって復活する場合、お金を払う負担よりも、お祭りを楽しめることの満足度の方が大きいならば、その状態はパレート改善。

パレート改善が実現するかどうかは、会費の額とそれがどう使われるのかのバランスが問題で、十分楽しいお祭りに本当になると信じられるか、なんでしょうね。あ、信じたら、非協力でなく協力ゲームになるのかな。



2007年6月24日日曜日

囚人のジレンマ

ドラマ理論の論文を読もうとしたところ、そもそもその下敷きのゲーム理論を全く知りません。ぼちぼちと調べています。常識として知らねばならない基本概念に『囚人のジレンマ』というのがあるそうです。

ウィキペディア『囚人のジレンマ』によれば、


『ある事件において、共犯と思われる二人の被疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的な証拠がない二人の被疑者は、完全に隔離された上で双方に同じく以下の条件が与えられた。

もし、あなたがこのまま黙秘を続け、もう一人も黙秘を続けた場合(別件の罪にしか問えないため)二人とも懲役2年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人が黙秘を続けた場合、あなたを司法取引によって刑を1年にしよう。ただし、もう一人は懲役15年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人も自白した場合、双方とも懲役10年だ。
もう一人の方にも、全く同一の条件を伝えてある。
二人の容疑者を囚人A、囚人Bとおいて表にまとめると、以下のようになる。表内の左側が囚人Aの懲役、右側が囚人Bの懲役を表す。


           囚人B 黙秘(協調) 囚人B 自白(裏切り)
囚人A 黙秘(協調)   (2年, 2年)   (15年, 1年)
囚人A 自白(裏切り)  (1年, 15年)  (10年, 10年)

このとき、囚人がどちらを選択するのがよい戦略かというのが問題である。 』



個々の囚人にとっては、
相手が黙秘した時、自分が黙秘したなら2年、自分が裏切れば1年。
相手が裏切れば、自分が黙秘した時15年、自分も裏切った時、10年。

相手が黙秘した場合でも裏切った場合でも、自分は裏切って自白した方が、得になります。これは両方の囚人にとって同様だから、両方がそれぞれ自白すると、刑は二人とも懲役10年となります。

しかし、もし両方とも黙秘していれば、刑は二人とも懲役2年ですみました。だから、個々の囚人にとって最適である戦略を両方がとっても、全体の結果は最適のものになっていない。この状態を、『囚人のジレンマ』といい、社会学や経済学でよく出てくる有名な問題だそうです。

実際には囚人の自白を促すのにこんな条件を出す必要はないそうで、自白による減刑を示すだけでよいとのこと。だから、これは問題の解説用に定式化されたもののようです。

同じ構造は頻繁に出てくるとのことでしたが、昨今の関心事である年金問題なども、こういうジレンマをかかえているのかな、と思いました。

『他の人たちが年金の掛け金を払わないならば、私が掛け金を払っても年金資金不足はさらにひどくなる上に手持ちのお金が減り、私が払わなくてもさらにひどくなるが手持ちのお金は残る。
他の人たちが年金の掛け金を払うならば、私が掛け金を払っても年金資金不足はひどいままで手持ちのお金が減り、私が払わなくてもひどいままで手持ちのお金は残る。

いずれにせよ個々人にとっては、掛け金を払わない方が手持ちのお金が残る。だからと言って、全員が自分の手持ちが残る方を選択したら、年金制度は崩壊。こんなのも囚人のジレンマと言えるのではないでしょうか。

みんなが囚人並みに利己的に考えていては、世の中成り立たない。皆が掛け金を払えば年金資金は正常に運営されるという信頼感が前提条件。

そっか。囚人と同じように、悪事を働こうとか、年金などの前提となる社会への信頼感など考えずに自分だけの財産を増やそうとか、そういう自分個人本位の前提条件の時に、お互いの協力体制が試される場面で現れるのが『囚人のジレンマ』なのでしょう。

囚人が悪事による囚人でなく何かの理想を掲げた政治犯などだったら、相手も黙秘するはずと信じて自分も黙秘するという理想解を選択することも実際にあるでしょう。
年金制度は社会の全員で支えていかねばならない、と考えている人ばかりだったら、おぼつかない年金制度であっても、自分も掛け金を払って支えていこう、という理想解を選択するでしょう。

だから、個々人でなく全体の理想解を選択するにはどうすればいいのか、の答えは、『全体の理想』を実現したいと個々人が望んでいること。

囚人のジレンマはその名の示すごとく、悪人集団、ないし利己的個人集団のジレンマ。全体の利益を考えていないのだから、そういう結果になって当然なのでしょう。



2007年6月22日金曜日

国際紛争のモデリング:ドラマ理論

システム科学関係の文献を読もうとしているのですが、何せ、無知。去年の国際システム科学学会での、日本からの発表から見ていますが、ドラマ理論というのを勉強しなければいけないらしい。

ドラマ理論というのは紛争のモデリングなどに使われるもので、ゲーム理論に関係のあるものらしい。

日本語の本は、


     



ム、難しそう。。。

2007年6月18日月曜日

国境無き医師団:1日50円キャンペーン

国境無き医師団』というところからのダイレクトメールが来ました。

食べるものがない。飲む水もない。そんな状況で、栄養失調で世界中で毎日一万8000人もの子供の命が奪われています、とのこと。そんな子供たちの治療のために、独立、中立、公平な立場で、医療活動を行っている医療援助団体。
支援をしているのは、アフリカのニジェール、ナイジェリア、スーダン、ソマリア、チャドなどとのこと。貧窮度は高いけれど、内戦はしていない地域のようです。

それは大変だ。独立・中立を守るために、主に個人を中心に民間の寄付を活動資金としているとのこと。で、1日50円キャンペーンの実施中、とのことです。

クレジットカードの引き落とし申込書が同封されています。1日50円プランは、毎月1500円。他に、毎月3000円コース、毎月1000円コースがあります。一回だけの随時寄付もあります。

こういうのは、協力しなくちゃ。是非、協力して下さい。ホームページにも寄付の方法が載っています。

☆☆☆

でも、私は今回はやめときます。というのは、既に他の寄付をしているからです。私がやっているのは、途上国の子供やそのコミュニティーを支援する、フォスタープランというものです。これに、毎月5000円。だから、今回はパス。

実は、正直、5000円、きついなぁ、と思う事もあるのです。でも、フォスタープランは特定の子供の里親もどきになって、お手紙のやりとりをしたり、報告書をもらったりできるので、楽しいです。夫からは、「あぁたの道楽の中ではマシな方」と言われております。

私が始めた頃のフォスタープランは、月5000円コースしかありませんでした。でも最近は、4000円コース、3000円コース、もあります。

今回手紙をもらった『国境無き医師団』の1日50円キャンペーンは、月にして3000円コース、1500円コース、1000円コース。こちらの子供たちの方が命の危機にさらされているわけだから、フォスタープランの子供たちより困窮度は逼迫しているのだけど、安く設定されているのですね。何か支援をしようという場合、お勧めかもしれません。

一つ何かやっていると、道で募金を断る時とかも、気が楽になりますよ。

今支援しているフォスターチャイルドのプランがもうすぐ終了するので、今度は、アフリカの子供のフォスターペアレントになろうかな。


2007年6月17日日曜日

去年の国際システム科学学会の論文

今年、国際システム科学学会(ISSS)は第51回で、日本の東工大で行われます。ウェブ上ではその内容はまだ詳しくは分からないのですが、去年はカリフォルニアのSonomaというところで開催されました。去年の内容のプロシーディング(論文集)はウェブ上で公開されています。

国際システム科学学会は『オープンジャーナルシステム』だそうで、誰でも論文をダウンロードできるようです。今年の分はもちろんまだ載っていませんが、去年のは全部見れます。

Proceedings of the 50th Annual Meeting of the ISSS

K.C. Laszlo & A. Laszloという方の論文もダウンロードできます。やはりラズロー博士のお子さんらしいです。

読み始めましたが、ムズカシイ。でも、経済的な発展が経済格差を生み、次に世界は知識的な発展をめざしたものの、同じように知識格差を生み出している、との問題提起。Laszlo さん達のメキシコでの実践が解決案として提示されているようです。(アブストラクトより)

格差社会にどう向き合うかというのは日本人にも大事な課題だけれど、世界規模での格差はもっと大きく、重要な課題なのですね。



2007年6月12日火曜日

代替技術から統合技術へ、和の経済学研究所さん

元ブログ(癌っの後だから普通の日常)から、関連記事はこちらへ持って来たのですが、コメントまでは持って来れませんでした。コメント頂いた『和の経済学研究所』さんのブログをリンクに入れました。

「持続的な社会を目指して、代替技術から統合技術への発展をテーマにしております。 」と仰る、HN和の経済学研究所さんの、『午後のひととき』。このテーマ、私には難しいのですが、
第85話 システム・イノベーション System Innovationなどの記事が示唆的です。他の記事も大変勉強になるのだけど、まだ、読みきれません。5月 30日の『国連・持続可能な開発のための教育(ESD)の10年』の記事にコメントを頂きました。
地球交響曲5番のラズロー博士の言葉のまとめ部分も右の「ブダペストクラブ」関連リンクに入れさせて頂いています。


癌のテーマとしても「代替医療から統合医療へ」という流れがあります。私が今癌から助かっている状態にあるのは、統合医療のお陰だと思っています。和の経済学研究所さんは農業分野の技術を考えておられるようですが、医療だけでなく、技術の分野でも、代替技術、統合技術、という考え方があるようです。
元ブログからここを切り離して来たのですが、戻ってしまいそう?

多分両方に、システムイノベーションが必要なのでしょう。というわけでシステム科学につながりました。というわけで、当面戻らずにここも続けていこうと思います。






2007年6月9日土曜日

アクセスありがとうございます!

このサイトを作って、元ブログ(癌っの後だから普通の日常)の方で開設をアナウンスしたばかりですが、アクセス解析の記録によるとのべ22人もの方がアクセスして下さいました。うれし~。

ありがとうございます。

ネットでのアクセスとしては決して多い方ではないのだろうけど、私にとっては、とっても多い、すごいことだという気がします。そんなに読んで頂けるなんて。

ラズロー博士は、「すべてはつながっている、一人一人が自分が世界を変えられるのだから、自分が変わる責任がある」と仰っているのですが、初めてそれを聞いた時、

「そうなのかな~??」

と思いました。良く意味が分からない、信じられないという気もする。

博士が仰るように『太古の出来事も何らかの痕跡を今に残している』のかどうかは、分かりません、少なくとも直接には。著書「創造する真空」とかには、そういう叙述があるのです。

でも、良く考えてみると、今現在私がやっていることは、何らかの目に見える痕跡を残しているのです。当たり前ですが、私がこの部屋にいたら、私が居たという痕跡は残ります。椅子をずらしていたり、新聞を動かしていたり。新聞を変な所に置きっぱなしにしたら、ダンナが怒るという平和でない状態を引き起こしてしまうけれど、ちゃんと戻したら少しだけだけれど平和に貢献するわけです。

それがちょっとずつ伝播して、ちょっとだけ世界が平和になるのかもしれない。 ??? (バタフライ効果)

それはものすごくちょっとだけだけれど、そういう伝播の力は、インターネットによって極めて強力なものになっていると思います。

昨日書いた西岡篤夫先生の考察(ホームページ)にたどり着けたことも、奇跡のようなものです。ネットなしにあり得なかった。西岡先生の考察の痕跡が濃厚な状態で私まで届いたのです。

この拙いページを読んで頂けるのも、奇跡のようなもの。インターネットは素晴らしいと思います。

ここは、まずはブダペストクラブやラズロー博士の事があまり知られていないと思うので、その最低限の情報源(入り口)として機能させたいと思います。私自身は特に地球に良いような活動とか、しているわけではないので、もう、大したことは書けません。

気がついたものを引っ張ってきたり、思いつきのメモのようになるかと思います。

でも、地球を大事にしましょうね!

あまりまとまったものは書けないと思いますが、今後ともよろしくお願いします。もし、社長さんが読んでおられたら、ブダペストクラブへの入会を検討してみてくださいね! ここに残したものがどこかに伝播して、何か地球によいことにつながることができますように。




2007年6月8日金曜日

持続可能な開発と地球環境問題(元東工大教授西岡篤夫さんのページ)

『持続可能な開発』は、可能なのか。持続可能な開発のための教育、というシンポジウムもありましたが、そこは議論されたのでしょうか。開発し続けたら、いつか限界が来るのでは?

ネット上でとてもためになるページがありました。元東工大教授の西岡篤夫さんのホームページの、

地球環境問題

のページです。

西岡篤夫元教授は、このホームページを作られた1998年に80歳だったそうです。高分子の研究を続けられた科学者が80歳でまとめられたホームページ。ご存命ならば今、89歳? このようなものを私も読むことができるということを可能にしてくれるインターネットは、やはり素晴らしい。

西岡先生によれば、地球規模での人類の将来の問題について考察したのは、まずマルサスの「人口論」(1798年)。今から210年前。人口と食糧の二大要因に着目。

次に注目されるのは、1972年にローマクラブから出た、「成長の限界」。今から35年前。人口、食糧に、工業生産、資源、汚染が加わったそうです。大学紛争が終わった直後の出版で、西岡先生はこの頃から廃棄物処理の基礎研究を始められたとのこと。

「成長の限界」は、ラズロー博士も40歳の時にローマクラブ創設者に依頼されて作成に協力したというレポートです『「地球交響曲第五番」を共に奏でる出演者』より。このローマクラブに模して、博士は後にブダペストクラブを創設します。

持続可能な成長が可能であるのかどうか、西岡先生のページの中には、危機感が表わされています(5.「持続可能な成長」は可能か)。1972年の「成長の限界」では複雑な世界モデルを用いて計算機シミュレーションで1900-2100年の人口、食糧、工業生産、資源、汚染の5因子の動きを調べているそうです。成長に限界を設けないと安定解が得られず、破局が起こると警告したとのこと。

ちょうど、ラズロー博士の近著の「カオスポイント」のタイトルを思い出します。まだ読んでいませんが。

西岡先生のページからは、科学者が科学の進歩の営みを行いながら、生み出した成果が本当に人間の利益につながっていくのだろうか、という自問が読み取れます。多分、科学者・技術者の共通の悩みでしょう。

前世紀末からこれらの課題は「成長の限界」などのレポートで自覚されていて、今世紀をその限界を超える世紀とするために提唱され始めているのが、今年8月の国際システム科学学会でもテーマとして挙げられている「システム思考、その概念の確立、施策の実行」なのでしょう。地球規模で考えることができるようになり、行動することができれば、破局を超えていけるかもしれません。

ラズロー博士は量子力学から、全てはつながっている、地球規模での意識がある、良い方向へ変えて行くために一人ひとりが変わる責任がある、と仰るのですが、西岡先生はどのように考えられるでしょうか。




            
人口論   成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート   カオス・ポイント―持続可能な世界のための選択

2007年6月7日木曜日

地球交響曲と物理とラズロー博士

何かを調べていて、「あれっ、面白いことが載ってる」と、横道にそれてしまうことがあります。そこから大事なものが発展する。そういう機会を大事にしましょう、という考え方を、

『セレンディピティ』

という、と、会社で教わりました。

もともとは何を調べていたんだっけ、と、分からなくなってしまう、でも、これは面白いからブログに載せておこう、ということで。ふと見つけた情報です。

青樹洋文さんという方のTokyo Professionalsのニュースレターに、ラズロー博士の以前の講演会のことなどが載っていました。

このホームページ自体は、2004年から更新されていません。多分、地球交響曲の公式サイトなどに吸収されたのかもしれません。青樹洋文さんはガイアシンフォニー(地球交響曲)と深いかかわりをもって今も活躍されているようです。

ラズロー博士が講演会をして下さったいきさつや、地球交響曲に出演をお願いしたいきさつがニュースレターに書かれています。

January 20, 2005 News # 110 ラズロ博士に逢いたい
February 8, 2005 News # 111 ラズロ博士と睦稔さん

#111の方に、物理が苦手で高校から文系に進まれた青樹さんが、ラズロー博士の言葉と睦稔さんなどの体験のお話しを合わせて考えることによって、物理を通して世界を理解するようになられた様子が書かれています。

高校から文科系、という方は多いですね。むしろ、物理をやったなんて、変人、の部類に近い。まして女性は少ない。居るんですけどね~。

物理をやってたら必ずラズロー博士の仰る内容が分かるかというと、そうでもないでしょう。むしろ、精神性の強い内容の部分に、強い反発ないし警戒感を示す場合が多いかもしれません。アインシュタインが量子力学を受け入れなかったように。
睦稔さんのエピソードに表わされているような、精神性の強いメッセージを受け入れられるということの方が、より大きな要因かもしれません。

でも、精神で感じるという以上に、確かに世界はそうなっているのだという確信を得られるのは、物理的な実感を通してだと思います。数学としてだけでもない、モノの理解として。

高校物理で古典的な力学までやったところで物理の勉強をやめてしまうと、やはりその背景にあるのは古典的な世界観になります。それでもラズロー博士のように噛み砕いて説明してもらえば、量子力学でできた世界を物理的に理解することに手が届くのです。

荒く言って、古典的な世界観では、白でなければ黒。二律背反。量子力学は、白でなければ黒でもない、灰色がある。ここにあるか、ないか、のどちらでもない、ということがある。それを学校で教えるだけでも、うんと世の中の理解がはっきりすると思うのですが。実際に世の中は白黒はつかないものなのです。  。。かえってわけがわからなくなるでしょうか。



2007年6月5日火曜日

ブダペストクラブに入るには。

ラズロー博士提唱の瞑想から始まって、ブダペストクラブ、システム科学、と、癌関連とは直接には言えない話題が続いています。またブログを分けようと思っています。パート2の子育て日記に続いて、パート3を準備中です(ここのことです。『癌っの後だから普通の日常』から分けて作りました)。



ところで、日本の元総理大臣とか学者さんとかの方に、ブダペストクラブに入って頂きたいと以前書きました。が、どうやったらブダペストクラブに入れると思いますか? 誰でも入れるのです。私の見た限り、で、勘違いならご指摘下さい。




ダライラマ14世とか、ゴルバチョフさんとか、居並ぶ世界の賢人達は、『会員達から推薦された名誉会員』です。一般会員じゃないのです。

一般会員になるには、特に何も条件はないようです。会費を払えばよいのです。

ブダペストクラブホームページの『会員の種類』のページによると、

○Change the World Member 世界を変えよう会員 年間120€/USD

€はユーロで、USDとあるので米ドルでも払えるのでしょう。
今日は1ユーロは164円だそうで、120€=19680円だから、2万円ほど。
積極的にブダペストクラブの会議やイベントを支える会員。

○Change the World Junior Member 世界を変えよう青少年会員 年間30€/USD

学生および25歳以下だと、年間5千円ほどです。

○Associate Member 準会員

会員や名誉会員と共に、会議やイベントに参加できる会員で、2人分で1回1500€/USD、年間1000€/USD

2人で1回参加するだけに24万6千円、年間16万4千円。年間の方が安いのですね。

○Institutional Member 団体会員 一回1500€/USD、年間1500€/USD

財団、協会、非営利団体など。1回参加も年間も24万6千円ほど。

○Corporate Member 法人会員  会費は個別に異なるそうです。

どの会員になるかを決めたら手紙かemailを送ります。文面のお手本までついています。

==引用==
How to become a member of the Club of Budapest(ブダペストクラブの会員になる方法)

I/We want to become a member of the Club of Budapest International.
I/We did make my/our choice on the kind of membership and will write
this in an email or letter to:


(あて先)
CLUB OF BUDAPEST International Headquarters e.V.
Planet Plaza Hombroich
D-41472 Neuss - Germany
Fon 02182-886109
Fax 02182-886119
office@clubofbudapest.org
====

というわけで、推薦や紹介が必要、とか、人格者でなくてはダメ、とかいうことは、ないようです。

既に入っておられる日本の方は、以前紹介しましたがロータリークラブなどをやっておられる社長さんなど。

あと、『ブダペストクラブの日本コーディネーター』を、九州産業大学の伊藤重行教授という方がされています。ラズロー博士の著作の翻訳を出版されている方です。

2007年6月4日月曜日

第51回国際システム科学学会(2007年)は東京で

国際システム科学学会(Annual Meeting of the International Society for the Systems Sciences)というのがあります。

ラズロー博士はシステム科学とかシステム哲学とかの業績でも知られています。音楽家、物理学者としての業績を残された後、システム哲学の業績で非常に有名になられたそうです。システム哲学の創始者ということらしい。

その、今年の国際学会は、日本であるそうです!

 "The 51st Annual Meeting of the International Society for the Systems Sciences, Integrated Systems Sciences: Systems Thinking, Modeling and Practice"
第51回国際システム科学学会、統合システム科学:システム思考とモデルと実践(勝手に訳語をつけました)

今年の8月5日から10日、東京工業大学であるそうです。

昨日紹介した昨年のデュッセルドルフでのシンポジウムの「叡智と科学の対話:惑星の新しい意識」とテーマが連続していることが分かります。個人の意識に対して、システムの思考や意識(!)という概念が探られています。地球という惑星の意識。???

昨日紹介したシンポジウムのビデオをまとめているARI filmsというところは、『カバラの叡智で人間に宇宙とのつながりを発見する機会を提供』しようとしているところです。カバラとは、ユダヤ教の神秘主義思想だそうです(ウィキペディア『カバラ』)。これだけ見ると、一般には”近づかない方がよさそう”と思うと思います。私などはそうです。エンジニア仲間の誰も、肯定してくれそうにない。でも、ユダヤ教と特に関係が深いというわけではないのです。たまたまなのです。東工大で行われる、国際システム科学学会の方は大いに信用してくれると思います。(私もです。)

科学が精神的なものに近づいていることを、受け入れねばならないようです。まだまだ、受け入れないという方もあると思います。

第51回国際システム科学学会には今のところラズロー博士がみえるとは載っていないようですが、去年の第50回では博士が特別講演をされています。去年の副題は「複雑さと民主主義と持続可能性」。


"The 50th Annual Meeting of the International Society for the Systems Sciences, Complexity, Democracy & Sustainability, July 9-14, 2006, Sonoma State University, Rhnert Park, California, USA" "Sonoma 2006 Featured Speakers"


複雑な人間社会の中で民主主義の実現を探りながら地球の生命を持続可能にするには(第50回)、個人レベルでなくシステムの意識と思考を探り、モデル(概念)を確立し、実践していく必要がある(第51回)、といった流れでしょうか。

第50回のFeatured Speakers(特別講演紹介)に載っているラズロー博士の写真は何やらとても楽しそうです。内容の深刻さに比べて、博士の確信が窺える明るい印象はありがたいです。昨日のビデオもそうですが。地球は大丈夫かもしれない、と思えます。私たちがちゃんと必要なことを実践すれば、でしょうけれど。

同じく去年のFeatured Speakersに載っているAlexander Laszlo, Ph.Dという方は、博士の息子さんなのでしょうかね。(? Kathia C. Laszlo, Ph.Dはお嫁さん?) 博士には息子さんが2人おられるそうですが。   ハイ、私はミーハーです。

息子さんなのかどうかは分からないけれど、博士もそろそろご高齢ですから、この叡智を受け継ぐ後進の方々がどんな風なのかは私は気になるのです。賢い人の後をついていくのが好きなので。

今年の第51回は日本ということで、日本人の先生の講演もいくつかあるようです。Tokyo 2007 Featured Speakers(2007東京の特別講演)

世界の将来を探る重要な国際会議に、日本も貢献でき、課題の議論に近く先生方がおられるのはとても心強いと思います。願わくば、この成果が今後の日本の行く末に十分に反映されますように。

2007年6月2日土曜日

叡智と科学の対話:惑星の新しい意識(科学シンポジウム)

ユーチューブで、ラズロー博士のシンポジウムを紹介するビデオがありました!

2006年3月25日と26日、ドイツのデュッセルドルフで下記のシンポジウムが行われました。

「叡智と科学の対話:惑星の新しい意識」
"Wisdom and Science in a Dialogue: The new Planetary Consciousness"(pdfファイル)

Scientific Symposium(科学シンポジウム)と添え書きがあります。とかく、科学の部分が削られて紹介されがちですが、科学に基づいてのシンポジウムです。

『意識』の起源は解明されていないものの、意識についての知られている限りの科学的知見を含めてのシンポジウム。


ユーチューブで、これを紹介したビデオがありました。

Toward Integral Consciousness

ARI Films というところが編集しています。ナレーションが入ってストーリーづけされていますが、21世紀に向かって世界の現状に対して、世界の叡智が懊悩していること、その中でラズロー博士が指導的な提案をされていることが分かります。

やっぱり、お父さんという雰囲気ではありませんか。年齢から言えばおじいさんかもしれませんが、シンポジウムの参加者にとっては、苦悩の中に、博士が進むべき方向を示してくれていることが見てとれます。きびきびと確信に満ちて講演をされる姿は十分に現役です。(かっこいい!)

2007年6月1日金曜日

大人になる、母親になる、父親になる、、、と、量子力学

数日前に、「文科系の学部であっても、大学を出たならば量子力学の基礎の粗筋は学べるようになっていてほしい」と書きました。そうでなければ色々な大事な事の理解ができなくなる、と書きました。その続きです。

よく、今は大人になれない人が多い、と言いますね。私もそうなのですが、どうやら、それでも母親にはなれるのです。へその緒で子供とつながって10ヶ月、その後でも、授乳の必要から、子供は母親が母親であることは疑いません。その後も、母親は食べ物を始めとする生活面で子供と密着しています。

産めば、殆ど必然的に、女性は母親になれます。いい母親かどうかは別ですが、ある程度いい母親には。

だけど、父親になるのは、もっと難しそうです。で、母親だって本来、大人でなければならないのですが、父親には母親以上に、大人でなければ、なれなそうです。大人の分別、大人の判断力、秩序についての理解などが必要ではないでしょうか。そういう父親像は、今まで、わりと古典的な世界観に基づいていたと思います。

不確実性の時代、とかいう言葉も流行りましたが、実は古典的な世界観が終わりを告げていることは、知られているでしょう。でも、それに代わる世界観をつかみきれている人は少ないのです。

古典的世界観の次に来る世界観は、いまだ常識ではありません。もう、不確定性原理に基づく量子力学は、できて100年近くになろうとしているのに。

ラズロー博士は現代科学の最先端のさらに先までを見通して、世界の秩序についての理解を示そうとされています。博士についての私のイメージは、頼りになるお父さんのようなものです。

現代は不確実な時代、混沌の時代、のように見えたとしても、実は秩序のある世界なのだ、と、示して、その秩序を担っていく責任が一人ひとりの人間にはある、と教えてくれています。お父さんぽいと思います。

世の中を良くしていく姿勢を子供達に示さねばならないお父さん達のためには、量子力学は学んだことがある、という状況が良いと思うのですが。
まだまだでしょうか。ITや英語について学ぶことは急がれていますが。あと100年くらいかかるでしょうか。